楽に生きるための基本姿勢をシーシャ屋の友人に教わった

友人とシーシャに行った時の話

自然体で振る舞う友人を見て、無理なく生きるコツを学んだことがありました。

小学校時代の友人2人とシーシャに行った時の話です。友人のひとりはRといい、彼は私と同じく東京に住んでいます。このときは地元からもうひとりの友人Mが東京に遊びに来ていたので、3人で集まろうという話になっていました。

シーシャに行こうというのはMの提案でした。彼女は地元でシーシャ屋の店長をしており、お手本となる東京のお店の視察に行きたいとのことでした。私もRもシーシャは初めてでしたが、リサーチの見学だけでも十分おもしろそうだったし、本職のMがレクチャーしてくれるというのでわくわくしてお店に向かいました。

一蘭でサクッと小腹を満たしてから上野のシーシャ屋に向かいました。平日の昼間でしたが、アメ横では大勢の人がお酒を楽しんでいたのが印象に残っています。「飲兵衛のぎゅうぎゅう詰め」だったアメ横の路上とは反対に、シーシャ屋は浜辺のリゾート小屋のような空間で、お客さんもほとんどいませんでした。

早速Mがメニューを開き、店員のお姉さんにフレーバーの相談をするところから視察が始まります。Mのお店では扱っていないフレーバーや珍しいミックスがいくつかあったようで、Mはとても楽しそうに店員さんと話をしていました。店員さんも「お、”わかってる”客が来たぞ」という感じで、かなりマニアックな説明まで踏み込んでいる様子でした。

ひととおり相談が終わったあと、フレーバーのミックスを2種類選び、2つのシーシャを3人で回し吸いするかたちで私とRのシーシャ入門がはじまりました。「私とRはシーシャ初体験だ」というと、店員のお姉さんがチュートリアルをしてくれました。お手本のお姉さんのかわいらしいお顔からイカつい煙がもくもくと吐き出される様子に、不思議などぎまぎを感じました。

それからしばらくは、シーシャを吸いながら3人でゆったりと談笑していました。3人とも5年近く会っていなかったので話題が尽きることはありません。シーシャ屋ってどんなもんかと思っていましたが、Mは「居心地はチルい漫画喫茶みたいなもん」と言っていて、まさにそんな感じだと思いました。とても心地よい時間を過ごせました。

折に触れて、Mはシーシャのレクチャーをしてくれました。器具のこと、フレーバーのこと、初心者に向けての注意やお店の裏側についてまで、Mの講義は多岐にわたります。10代の頃のMはどちらかというと学校のお勉強を避けてきたタイプの子でしたが、彼女がシーシャについて日々熱心に勉強を重ねていることは素人目からしても明らかでした。

特にフレーバーについては彼女の本領だったようで、お客さんに合わせてフレーバーを提供するためにどうヒアリングするかや、お店の営業後にいろいろ「味見」してクオリティの向上に努めていることなど、とても楽しそうに語ってくれました。聞いているこっちが楽しくなるほどでした。


2~3時間ほどくつろいでお店を出たあと、Mが「夜に新宿で会食の予定があるから、そこまで見送ってよ」というので新宿に向かうことになりました。


上野駅はちょっとした坂の上にあって、私とRが駅に向かう階段を登ろうとしていました。するとMは「ちょっと、こっち」と、階段の横にあるエレベーターを指差します。それほど急な階段でもなかったし、そのエレベーターは足が悪い人や高齢者のためにあるような気がしたので、私は「(健康な若者のくせに)エレベーター乗んの?」と聞きました。彼女はあっけらかんとして「あたし華奢だからさ、疲れちゃうし。」と答えます。私は「ふーん、そんなものか」と思いエレベーターに乗りました。

Mは上野駅のロッカーに宿泊の手荷物を預けていました。小さめのボストンバッグほどの荷物でそこそこの重さがあるものでしたが、Mは「はい、よろしく」とさも当然のようにRに渡します。Rも「はいはい」という感じで荷物を持ち、3人は山手線で新宿に向かいました。

新宿で軽く買い物を済ませたあと、Mの会食のお店に向かいます。Mは自分のスマホのGoogle Mapにお店の名前を入れたあと、「地図読めんから」といってスマホごとこちらによこしてきました。私がGoogle Mapの指示通りに道案内をし、店先でMと別れました。

そのあとルミネでRと夕食を食べ、オトコだけの会話をたっぷり楽しみました。小学校の頃からいい意味で全然変わっていないRに安心し、駅で別れて帰路につきました。

無理をしない自然な振る舞い

帰りの電車に揺られながら、私はあの階段のワンシーンを思い浮かべていました。私がMだったら、エレベーターに乗っただろうかと。

荷物をRに任せるところや、私にスマホごと地図を渡すところも、印象に残っていました。それは決して「自分でやればいいのに」というようなイヤミな気持ちではなく、むしろMの「無理をしない」感じに私は不思議な気持ちよさを感じていました。

自分の苦手なことを躱す彼女は、「自然体」と言うか、地に足がついている感じがしました。自分が苦手なことを「すっ」と他の人に任せる様子がなんとなく素敵に思えてつい思い返してしまいます。

もちろん、男に荷物を持たせるのも、地図を任せるのも、大したことじゃありません。

でも私はなにかと「上昇志向」のある人間で、なんでも自分を高める方向に持っていかないと気が済まないタイプなんですね。だからそういう些細なことでも、「これは自分の責任である」と考えて抱え込んでしまうだろうなと。

だから、Mのその力の抜けた振る舞いが、羨ましいと言うか、望ましい姿のように感じられたのです。

もっといいなと思ったのは、Mが初心者の私たちに向けて丁寧にシーシャのレクチャーをしてくれたことです。彼女は自分の得意なところで手を抜いていなかった。初心者へのレクチャーなんて、人によっては重い荷物を持つことよりよっぽどしんどいことでしょう。だけどMは私たちを真剣に楽しませてくれました。

そのおかげで、私たちはベースとして彼女からのリスペクトを感じていました。荷物や地図を丸投げされても「ぞんざいに扱われている」という感じはしませんでした(小学校以来の友達ですから、当然といえば当然なのですが)。


私もそんなに了見の狭い人間ではないので、他人に教えを請われたり頼られたりしたときはMのように全力でやります。だけど自分が苦手なことを人に頼るとなると、どこか身体がこわばってしまう。なんだか悪い気がするんです。

でもきっと、私が人に親切にしている限り、そんな心配はいらないんですよね。私が地図を任されたときのように、苦手だからお願いと頼めば「はいよ」とやってくれるはずなんです。そういう普通のことを改めて教わった気がします。


苦手なところは人に任せて、得意なことでサポートに回る。

当たり前のことなんですが、Mみたいに自然とできたら、生きるのが楽になるだろうなと思った次第です。

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