人生の価値を理解する瞬間を見たことがある
銀杏がくさいなんて信じられない
幼い頃、僕にとって「銀杏がくさい」という事実は、世界の七不思議の一つだった。
僕が住む街の大学には、きれいなイチョウ並木がある。秋になると、紅葉したイチョウ並木を見るためにたくさんの観光客がやって来る。紅葉シーズンも終盤戦。秋の終わりを告げる風が、並木道の上にもみじの絨毯を編んでいく。日曜日、授業はないのだけれど、お気に入りのトレンチコートで秋を感じたくなった。並木道を散歩する。風情とくせぇがやって来る。
そのくさい匂いを嗅いでも、いまだに信じられない。道路に落ちる銀杏は、どうしてこんなにくさいのか。だって、僕の中で「銀杏」は、おばあちゃんが作ったとってもおいしい茶碗蒸しの具なのだから。
おばあちゃんは料理の達人である。我が家では、毎週日曜の夜、祖父母宅に集まっておばあちゃんの手料理を食べることになっていた。おばあちゃんは魚もさばけるし、揚げ物はサクサクだし、赤飯だって自分で炊いていた。どれも絶品なんだけれど、僕のイチオシは茶碗蒸しだ。
「これ茶碗蒸しって言うのか、うめーうめー」と言いながら食べる僕を見て、すかさず母がおばあちゃんに質問する。
「お義母さん、どうやったらこんな美味しくなるんですか?」
「ありがとうねぇ、うれしい質問だわ。けど、今回はちょっと火を入れすぎたかしらねぇ…」
僕は、いつもあっという間に茶碗蒸しを平らげてしまう。そして、おばあちゃんにおかわりがないのかを聞く。
「ええー、おかわりないのかー。めっちゃうまかったから来週もまた作ってよ」
「あら、ありがとねぇ。こんなんでよかったらね、また作ってあげるね」
「茶碗蒸しに入ってた黄色い実みたいなやつ、なんかうまかったわ!」
「あら、こーちゃん(=僕)、銀杏の味がわかるなんて大人なのねぇ」
おばあちゃんは謙虚だった。どんなに僕が料理を絶賛しても、「いやいやまだまだです」みたいなテンションで返してくる。「大人なのねぇ」と言われただけ有頂天になる僕とは対照的に、おばあちゃんは控えめに感謝の言葉を繰り返すだけだった。
おばあちゃんは探求者
おばあちゃんは、お習字の達人でもある。賞もいろいろ獲っていて、おばあちゃんの家にはたくさんのトロフィーがある。お稽古をする畳の部屋には、練習で書いた達筆な字がたくさん並んでいる。
いや、本当のことを言うと、素人の目では達筆なのかはよくわからない。おばあちゃんが書くのは「行書」というやつで、古文書で使われているようなフォントなのだ。そんな古文書フォントが、おばあちゃんの背の2倍、畳ぐらいある長い半紙に、何行にもわたってびっしりと書かれている。
一枚書き上げるだけでも、相当な体力と集中力を使うはずだ。こんな苦行、僕だったら、数枚書いて満足して、すぐに辞めているだろう。それなのに、おばあちゃんは、毎日毎日、何時間も稽古に励む。朝から稽古を始めて、気づいたら日が暮れていたなんてこともあるそうだ。
「おばあちゃん、ほんと習字すごいねー」
「いやいや、ありがとう。けど、ここと、ここと、あとここが失敗してるのよ。難しいのねぇ」
賞を取るぐらいなんだし、おばあちゃんの実力は達人級と見て間違いない。それなのに、いつまでたっても全く満足せず、さらなる高みを目指す。おばあちゃんにとって、もはや賞なんていうのはどうでもいいものなのかもしれない。おばあちゃんはとんでもない探求者なのだ。
だから、もちろん、おばあちゃんから「賞獲ったよ〜」なんて絶対に言わない。受賞の報告をしてくれるのは、おじいちゃんだった。「ほれ、こーすけ」と言って、おじいちゃんが渡してくる日本墨書会の雑誌には、おばあちゃんと獲った賞の名前が載っているのだった。
昔だから許されるのね、おじいちゃん
そんな僕のおじいちゃん、実を言うと、現代の価値観ではどう頑張っても肯定できない「ダメな夫」である。寝食以外にやることと言ったら、新聞を読む、目薬をさす、散歩の3つぐらい。家事は全部おばあちゃんに任せっきりだ。「おい」とか言って、おばあちゃんを働かせる。孫がいるときはダメと言われたタバコは、トイレでこっそりふかす。
隠居前、おじいちゃんは役所のお偉いさんだったみたいだ。父いわく、朝起きる頃にはすでに出かけていて、みんなが夜寝た後に帰ってくる人だったらしい。夜の街では、けっこう有名だったそうだ。要するに、おじいちゃんは、まだ家父長制があたりまえで、やりたい放題し放題できた時代の恩恵を受けまくった人だった。
僕は物心ついたときから、おじいちゃんとおばあちゃんの関係性が不思議で仕方なかった。2人はお見合い結婚で、恋愛結婚ではない。あんな「ダメな夫」のおじいちゃんに、なぜおばあちゃんは50年以上も尽くすことができるのだろうか。意味がわからなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんの最期
おじいちゃんが死んだ。
葬式のために、久々に親戚一同が集まった。おじいちゃんの方の親戚の人が「いやあ、あの人のお嫁さんはなかなか大変やと思うよ。けいこちゃん(=おばあちゃん)は本当にすごい人や。お疲れさま」とかバチあたりなことを言うので、笑ってしまった。
親戚の人たちに褒められても、おばあちゃんは「ありがとうございます」と、いつもどおり感謝を繰り返すだけだった。接待でドタバタしてちょっと疲れた表情をしていたが、それ以外は本当に普段と変わらない様子だった。
滞りなく式が終わり、火葬場で、いよいよ最期の別れを告げようというところだった。焼却炉の前に棺桶があって、火葬場の人がなにか説明しているようだった。ふと、おばちゃんの方に目をやると、泣いていた。ここまで、泣くどころか、悲しげな表情すら表に出していなかったおばちゃんが、最期の最期に泣いていた。
たぶん、あの場にいた誰も気づいていなかったと思う。それぐらい静かに、透き通るように、おばあちゃんは泣いていた。火葬場を後にする頃には、もう普段のおばあちゃんに戻っていた。
おばあちゃんが最期の最期にだけ流した涙の意味を、僕は考えずにはいられなかった。愛する人との別れを悲しむ涙、そんなありきたりな言葉では収まらない気がした。もっと、達成感というか、一区切りついたことでやってくる感涙のように見えた。あのとき、あの瞬間、おばあちゃんはおじいちゃんとの日々を思い出していたんじゃないか。味噌汁の味に文句を言われたこと、お習字を褒められたこと、紅茶とかりんとう饅頭で過ごしたティータイム。そんな日々が一気に思い出されたんじゃないか。
1日なんて、その日単体で見ると、ストレスのたまる日、ちょっと幸せな日、ごく普通の日などぐらいにしか思えない。けど、そういった何気ない日々も積み重ねていくと、最期になって、日々の喜怒哀楽の総和以上の、とてつもなく重要な「価値」や「意味」が見つかるのではないかと思う。そこで初めて、人生の価値や意味が見つかるのではないかと思う。
あの涙は、おばあちゃんがおじいちゃんとの日々とその意味に満たされて流れた涙なんだと思う。
おばあちゃんの探求は続く
御年88才。おばあちゃんは、今日も畳の部屋にこもってお習字の稽古をしている。耳が遠くなったので、畳の部屋に電話の子機が置かれるようになった。おじいちゃんの世話をしなくてよくなったし、のびのびと習字に打ち込めているんじゃないだろうか。
慢心せず稽古を続ける姿を見るたびに、改めて、おばあちゃんはすごいなと思う。いや、本当に、たとえ満足のいかない出来栄えや日々であっても、それをコツコツ積み重ねていける胆力に、いつも脱帽してしまう。おばあちゃんならきっと、最期の最期にとんでもない作品を書いてくれるはずだ。
くれぐれも体には気をつけて。頑張れー。
こんな感じで、稽古に励むおばあちゃんの隣から仏壇の中のおじいちゃんも応援していると思う。
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