本は腐るのであんまり抱え込まないようにしている

本が腐る

「本が腐る」という現象があります。もちろんこれは物理的・科学的な現象ではなく、心理的な現象です。長らく手元に置いてある本が精神的に良くない影響を及ぼすということです。

私はあるときを境にこの「本が腐る」という現象を重く受け止めるようになり、それ以降はなるべく本を抱え込まないようにしています。


私には以前、本の収集癖のようなものがありました。本を読むことももちろん好きでしたが、それ以上に本棚に本を揃えることが好きでした。

たしか教育学者の齋藤孝先生がどこかで「大学生時代、大きな本棚を買ってそれを埋めることを目標にしていた」と語っていて、私もそれを真似していました。高さが2m程度もある大きな本棚を買い、色んな本を並べていきました。

経済学、数学、生物学、化学、歴史、小説、ビジネス書…。教授や友人のおすすめ、Amazonのレコメンド、Twitterで流れてくるものなど、気になった本はすぐに買うようにしていました。「本は最高の投資」「先人の知恵が千円そこらで手に入るのだから実質無料」「買えば買うほど良い」などといった大人たちの喧伝も背中を押しました。

本棚は一段、二段と徐々に埋まっていき、ずらっと背表紙が並んでいるのを見るとなんだか嬉しくなりました。もちろん買うだけでなく、好きなときに読んでは友人に感想を話していました。


しかしあるときから、本を買うのが苦しいなと思うようになりました。それは金銭的な問題ではなく、心の問題でした。

ハイペースで本を買っていると、当然ですが積ん読が発生します。忙しいときには10冊以上の積ん読を抱えていました。最初は「読みたい」と思って買った本ですが、長く積ん読されていると「早く読まないと」という気持ちになってくる。新しく読みたい本を見つけたときも、「あーでも、あれ読んでからじゃないとな」という気になって手が伸びない。誘惑に負けて購入しても、なんだか「債務が増えている」ような感じがする。そんな感覚に陥っていたのです。

また、本の選び方も変わっていました。古典や教科書のような重厚な本よりも、新しい本や売れている本、2時間程度で読めてしまう新書などをよく選ぶようになりました。読み方も、一冊に深く入り込まずに気になるところをかいつまんで読むというようなスタイルを強めました。明らかに「早く消化する」「すぐ役に立つ」を目的にしていました。

この、長く積ん読している本がプレッシャーを放ち、本を買う体験を悪くさせたり、消化しやすい本を選ばせたりするのが、「本が腐る」というやつです。

それでも私は相変わらず、「本なんてあればあるほど、読めば読むほどいいだろ」と考えていました。積ん読のことはなるべく忘れて、欲しい本を買うことをやめませんでした。

本棚を整理する

転機もまた、一冊の本でした。旅のお供に読んだショウペンハウエルの『読書について 他二篇』がきっかけでした。

その本には、「数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめる」「読書は思索の代用品にすぎない」など、濫読傾向にあった私にビシバシ刺さる内容が書かれています。その中でもド刺さりしたのが以下の部分でした。

ヘロドトスによると、ペルシアの大王クセルクセスは、雲霞のような大群をながめながら涙した。百年後には、この全軍の誰一人として生き残ってはいまいと思ったからである。分厚い図書目録を眺めながら泣きたい気持ちに襲われないものがいるだろうか。だれでも、十年たてば、この中の一冊も生き残ってはいまいという思いにうたれるはずである。(出典


自分の本棚に、10年後も読み返したい本は何冊あるのだろう。


私は本の断捨離を決意しました。家に戻り、いまや世界的ベストセラーとなった「こんまり本」に書いてあることをそのまま実行しました。「長く収納されたモノは寝ているから、一度取り出して起こさないといけない」というのは秀逸ですね。家にある全ての本を床に並べてみて、ときめくかどうか一冊ずつ確かめました。

本棚に戻した本は1/4程度でした。未読本も容赦なく売りに出しました。

最終的に手放した本は170冊以上になりました。

本棚を整理し終えた後、漫画「海街diary」に出てくる、庭が見事で「花屋敷」と呼ばれている家の息子が、「ゴミ屋敷ってあるだろ。あれのゴミが花になっただけだよ。」と言っていたのを、なんとなく思い出しました。


本を大胆に手放してみて、私はようやく本が腐っていたことに気が付きました。断捨離の前と後では、明らかに読書に対する姿勢が変わりました。

まず、手元の本が減ってから読書のフットワークが軽くなりました。読みたい本は素直に手に取るし、読みたい気持ちが新鮮なうちに読み切ることができます。

また、600ページ程度あるような、読むのに長い時間がかかる本も進んで手にとるようになりました。通読するだけなら1週間から10日ほどあればできますし、「1ヶ月以上かけてじっくり読む」なんてことも普通にやります。深く読むことは本当に楽しいです。


「本なんてあればあるほどいい」と思っていた私ですが、それからは数ヶ月に一回ほどのペースで本をまとめて中古業者にリリースするようになりました。いま手元にあるのは60冊ほどで、まだまだ減るだろうと思っています。

本は抱え込まないほうがいい

本を断舎離してみて、更にいくつかの気づきがありました。

まず、本には自分にとってポジティブな本、ニュートラルな本、ネガティブな本の3種類があるといことです。

  • ポジティブな本:持っているだけでも賢くなったような気がする、勇気が湧いてくる本、いつでも読み返したい本
  • ニュートラルな本:存在を忘れている本、心に残っていない本
  • ネガティブな本:「読むべき、読まなくちゃいけないが、まだ読めていない」と思っている本、腐っている本

これは絶対的・普遍的な分類ではなく、相対的・個人的な分類です。ある人にとってポジティブな本は別の人にとってネガティブな本になり得ます。さらにこれはタイミングの問題でもあり、昨日までネガティブな本だったものが明日にはポジティブな本に化けている可能性もあります。

ポジティブな本だけを持っていればいいのだと、わかりました。ネガティブな本は手放すと心が軽くなりました。ニュートラルな本については持っていても構わないのかもしれませんが、手放してもなんら問題はありませんでした。無くてもいいなら無いほうがいいでしょう。


また、読みたい本は積ん読していなくてもすぐ読めると気づきました。積ん読の効用について、よく「読みたい本を読みたいときに読める権利を持つこと」と言われますが、ほとんどの本は翌日配送か電子書籍で家にいてもすぐ手に入ります。それで十分です。

もはやAmazonは私たちの巨大な本棚みたいなものです。自宅の本棚まで引っ張ってくるのにいくらかお金がかかりますが、一般書なら大抵保管されています。限られたポジティブな本以外はそこに「収納」して忘れておけばいい。一度手放してもまたすぐ手に入ります。


また楽しみ方の問題として、「積ん読しておいたのがようやく読めるぞ」というのはあまりよろしくないとわかりました。「TODO感」が否めず、楽しむことではなくて読み終えることにフォーカスしてしまいます。「本屋をふらついてピンときたものをその場で買い、そのまま近くのカフェで読む」くらいの方がよほど没入感があります。


というわけで、うだうだ書きましたが、私は「本は腐るのであんまり抱え込まないようにしよう」と考えています。

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